東京地方裁判所 昭和31年(ワ)7377号 判決 1959年6月11日
原告 クリントン・ジー・ロスタロツト
被告 アドミラル・セールスカンパニー・インコーポレーテツド
主文
本件訴はこれを却下する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し金二千五百ドルまたは金九十万円の支払をせよ。訴訟費用は被告の負担とする」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、その請求の原因及び被告の本案前の主張に対する反論として次のとおり述べた。
一、被告は肩書地に本店を有して商品の販売を業とする社団であるが日本における事務所または営業所は有しない。
二、一九五四年(昭和二十九年)八月一日原告は被告と雇用契約を結び、以後極東方面の軍需品販売に関する被告のセールスマンとして働いた。右契約内容の大要は次のとおりであつた。
(一) 被告は原告をセールスマンとして雇用する。雇用期間は一九五四年八月一日から二年間とする。しかし更新することを妨げない。
(二) 原告に何ら契約違反がなくして被告の都合により解雇した場合は、被告は原告に対し原告およびその家族の旅費および家具、自動車等の輸送賃を契約解除の日より九十日以内に支払うこと。
三、しかるに被告は原告に何らの義務違反がないのにかかわらず一九五六年三月十五日一方的に原告に対し右雇用契約の解除を通知してきたので、原告は被告に対しその措置が不当である旨抗議したが、被告の容れるところとならなかつたので、原告は右二、(二)記載の約旨に基き、被告に対しアメリカ合衆国西海岸に到るまでの原告およびその家族の旅費ならびに家具、自動車等の輸送賃として五千ドルの支払を求めたが被告は応じなかつた。
四、そこで原告は昭和三十一年六月下旬東京地方裁判所に対し被告所有の動産の仮差押命令(昭和三十一年(ヨ)第三四七八号)を申請し、これが命令を得て当時東京羽田空港および横浜ニユーグランドホテルにあつた被告所有の商品見本等に対し仮差押の執行をした。
五、しかして、原告は運送賃として二千五百ドルを必要とするので、前記雇用契約に基きこれが支払を求めるため本訴請求に及んだ。
六、被告は本案前の主張として本件訴につき日本の裁判所に管轄権がない旨主張するがあやまりである。
(一) 本件につき日本の裁判所に管轄権のあることは次の三点から明らかである。
(1) アメリカ合衆国の国際私法は財産所在地の裁判所に管轄権を認めているところ、前記のように原告が仮差押をした被告所有物件は横浜市および東京都羽田空港内にある。なお原告が仮差押をした物件(被告の代表者が仮差押執行当時止宿中であつたホテルニユーグランドの倉庫に同人自身が保管させていたものおよび同人の私室に存在していたものである。)のほか羽田空港税関に、商品の入つているスーツケース六個(昭和三十一年六月一日被告の代表者とともに羽田空港に到着したものである。)の被告所有物件が存在している。それらのうちには原告が故意にその引渡を差し控えたものはない。タイプライターが被告の代表者の妻の所有に属することは否認する。
(2) 本件雇用契約の履行地は日本である。
(3) 本件雇用契約は原告が日本において署名して締結したのであり、かつその際契約は日本国の実体法によつて律せられるべき諒解が原、被告間にあつたのである。
(二) 被告は、民事訴訟法第八条にいう財産は日本との地的な結びつきが薄弱なものについては適用がない旨主張するが、同条は日本に住所を有しない者又は住所の知れない者に対する権利の保護を確実ならしめ、そのような者に対し権利を実行することを不能ならしめることを避ける趣旨の規定であるところ、右のような者は日本との地的つながりが稀薄であるのが常であるからそのような者の所有物について地的な結びつきがつよいことを求めることはそれ自体条理上首肯することができないというべく、却つてその結びつきの稀薄な物件に対しても日本の裁判所に管轄権を認めて債権者を保護しようとするところに同条の真の意義がある。被告の主張するところによれば、例えば駐留軍々人が自国に帰国するに際しそれら軍人に対する債権の取立を日本人がするについて右軍人が日本に遺留した物件により債権の満足を得るため日本の裁判所に訴を提起しおよび執行をすることは不可能なこととなつて甚だ公平の理念に反する。のみならず物件と土地との結びつきの厚薄を決定する基準について困難な問題を提供することにもなり、本件について民事訴訟法第八条の適用がないとする被告の主張は失当である。したがつて物件が債権又は債権担保の直接の目的でなくてもよいこと明らかである。
(三) 民事訴訟法第五条は、財産権上の訴は義務履行地の裁判所に提起することができる旨規定しているところ、国際私法的な法の抵触に関する民事訴訟上の規定のない日本の現在においては、同条を類推適用して本件のように雇用契約の義務履行地および運賃支払義務履行地が日本である場合には日本の裁判所に管轄権を認めるべきである。
(四) 仮りに以上の主張が理由がないとしても、被告は日本の裁判所に出頭し本案に対する答弁をしているほか、日本の裁判所に対し証拠保全の申請をし、その決定に基きすでに被告代表者に対する証拠調が行われているし、その際の被告訴訟代理人のした尋問の範囲は本件実体関係全部にわたつているので、被告は日本の裁判所が実体関係について審理をすることを容認したものということができるから、日本の裁判所は本件訴について管轄権を取得したものというべきである。
被告訴訟代理人は、本案前の答弁として、主文第一項同旨の判決を求め、その理由として、「本件訴は、原、被告間に締結された雇用契約に基く請求であるところ、被告は日本に本店支店ないし営業所を有するものでなく、またかりに被告が原告主張のような債務を負担しているとしても右契約に関する書面の作成地はアメリカ合衆国カリフオルニヤ州サンヂエゴで、したがつてその履行地も右契約の準拠法であるアメリカ合衆国の法律により被告の肩書地である被告の本店所在地である。したがつて、国際民事訴訟法上の衡平の原則に基く国際上の慣行に照らし、日本の裁判所は本件訴につきその裁判権を有しない。なお、民事訴訟法第八条は日本国内の訴訟の管轄権に関する規定であつて、直ちに全面的に民事裁判権の有無を決定するために準用することは許されないし、すくなくとも本件のように被告所有の財産を直接目的とはしない権利関係の訴訟については準用すべきではない。よつて、本件訴は不適法として却下されるべきである。」と述べ、右本案前の主張に対する原告の主張に対し次のとおり述べた。
一、アメリカ合衆国々際私法は一般的に財産の所在地の裁判所が裁判権を有することを認めているものではないし、原告につきアメリカ合衆国々際私法により日本の裁判所に裁判権を生ずる理由もない。
二、本件雇用契約の準拠法は原、被告双方の意思によりカリフオルニヤ州法とすることと定められていたし、かりにその意思が明らかでないとしても契約書はカリフオルニヤ州サンヂエゴで作成されたのであるから法例第七条により本件雇用契約の準拠法はカリフオルニヤ州法である。原告主張の「雇用契約の履行地」の意は必ずしも明らかではないが、原告主張の本件運送賃等の支払債務の履行地の意と解されるので、そのような履行地はカリフオルニヤ州法上被告の本店の所在地であるのみならず、かりに右支払債務の履行地が日本にあるとしても、その一事から直ちに日本の裁判所に裁判権があるということができるかどうかは疑わしい(明治四〇年一二月一六日横浜地方裁判所判決参照)。
三、被告が日本の裁判所に出頭し本案に対する答弁をしているとの原告の主張は、被告が裁判権の不存在を何ら主張することなくして本案につき答弁をした場合ならば格別、本件のように被告がその点を争つて本案前の抗弁を提出している場合には本案の答弁をしている故に日本の裁判所に裁判権を生ずることとなる理由はない。また原告が主張する証拠保全の申請ないしはそれに基く被告代表者本人尋問も、被告が本訴において裁判権の不存在を明白に主張している場合であつて、証拠保全の申立書中にも本訴において裁判権の不存在を主張することを明らかにし、かつ被告代表者本人尋問もこの点に及んでいるのであるから、証拠保全手続を申請し、証拠調があつたことをもつて本件訴につき被告においてその裁判権に服する意思を有するものとするのは被告の意思に著しく反するのみならず、裁判権の不存在の主張の基礎となる事実につき立証する途を閉ざす結果となる(大正六年五月五日大審院判決、昭和一〇年八月五日東京控訴院判決参照)。
四、渉外的事件につきいずれの国の裁判所が管轄権を有するかに関する規定が殆んど存在しない日本においては、それは民事訴訟法の裁判管轄に関する規定からこれを推測するほかはないとする説があり、これによれば同法第八条の規定から本件訴の裁判管轄に関する原則を推測することとなるが、これらの説においても純然たる日本の国内の訴訟事件に関しいずれの裁判所が管轄権を有するかの問題とは著しくその性質を異にするのであるから、国際私法的な考慮を多分に加味しなければならないとしているのであつて、そもそも右のような考方が妥当であるかどうかは疑問である。いずれにしても各国間の主権の対立を背景としながら審判の便宜と衡平の原則の観点にたつて判断しなければならない。この点について、フランスにおいては渉外的事件についての管轄に関する成文規定は存在せず、判例の見解によるも単なる財産の所在地である故をもつて裁判権を有するとは認めていないのみならず、外国人間の訴訟については裁判権を否定するのを原則としている。英国法においてはいわゆる対人訴訟につき被告が呼出状送達の時に英国にいるかどうかによつてその管轄権の有無が決められるのが原則であり、その例外の場合が裁判所規則によつて認められてはいるけれども単に英国内に被告の財産が存在するという事実によつて英国内に居らない者に対する対人訴訟はその者がみずから服する場合のほか管轄権は認められていない。また、アメリカ合衆国も連邦および各州によつてその法制を異にしてはいるが、いずれもイギリスにおけるとほゞ同様で、対人訴訟について被告みずから裁判権に服する場合を除き州内において現実に被告に交付して送達することにより訴訟手続の告知を受けることが管轄を生ぜしめる前提であつて、単に州内に財産が存在するという事実によつては管轄権は生じない。一九二八年に開催された第六回汎アメリカ会議において成立したいわゆるブスタマンテ法典においても対人訴訟につき単に被告の財産が存在する事実によつてはその財産所在地の裁判所に裁判権があるとしてはいない。そうしてみると、民事訴訟法第八条の規定はむしろ渉外的事件についてその裁判権の存在を決定する基礎とはなし難いといわなければならない。仮りに同法条を準用しもしくは同法条により推測するとしても国際私法的な配慮を加えた結果は裁判権の問題としてはその前段即ち請求又は請求の担保の目的たる財産が日本に存在する場合にのみ裁判権を認めると解するのが妥当であり、そのように解することが近代的な国際法意識にも合するゆえんであるというべきである。故に本件のように原告において仮差押をした物件が原告の請求もしくはその担保の目的でない場合には、本件訴に対する日本の裁判所の裁判権はこれを否定すべきものである。
五、仮りに民事訴訟法第八条の規定が渉外的事件に対する民事裁判権の決定につき準用ないし類推適用することが許されるとしても、同条にいう「財産」とは、被告の意思により、かつ、原告の作為によらないで日本に存在する被告所有の財産であつて、社会通念上相当期間日本と地的に結びついているものに限られると解すべきである。そして原告主張の仮差押物件中タイプライターは訴外ゲールデイーン・エドワーズの妻の所有物であるし、商品見本中の大部分は原告が同人の解雇と同時に被告に送付すべきを故意にみずからの手許にとゞめておいた物件、その余はゲールデイーン・エドワーズが昭和三十一年六月日本に渡来した際携えてきた同人所有の物件で携帯用旅具として通関を許された外国貨物であるから、仮差押にかゝる物件はいずれも被告所有に属しないかあるいは原告の作為により日本にたまたま存置されたもしくは携帯旅具である外国貨物と認むべき程度のものであつて、日本との地的な結びつきの薄弱な物件のみであり、民事訴訟法第八条にいう財産ということはできない。なお仮りに原告主張のように被告所有のスーツケース六個が現在羽田空港に存在するとしても、それは、本件訴が提起された後原告が日本国外より送つてきたものである。
右のように述べ、本案の答弁として、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、原告の主張について次のとおり述べた。
一、請求の原因事実中、
一は認める。
二のうち(二)の事実は否認し、その余の事実は認める、原告主張の契約は、原告に何らの契約上の義務違反なくして被告の都合により解雇した場合において契約解除の日より九十日以内に原告がその家族とともにアメリカ合衆国に帰着することを希望したときは原告が現実に支出した原告およびその家族の旅費および家具、自動車等の輸送賃はこれを被告の極東方面の事業勘定の債務に計上するとのものであつた。
三のうち被告が昭和三十一年三月十五日雇用契約を解除したことは認めるが、その余の事実は否認する。
四のうち原告が羽田空港において仮差押の執行をしたことは知らない、その余の事実は認める、なお横浜ニユーグランドホテルにおける仮差押執行は昭和三十一年六月二十三日になされたのである。
五のうち運送賃が二千五百ドルを要することは知らない。
二、被告は次の理由により本訴請求に応ずる義務はない。
(一) 原告は右契約に定められた、原告が他の職務に従事してはならないとの約旨に反して被告以外の商社のためにシガレツトライター、ブラウスなどの販売に従事したり、又約旨に反し正確な会計帳簿を備えつけずかつ取引の経過および収支について被告に報告することを怠りまたは著しく遅滞した。そして右のような義務違反は雇用契約上特に解雇事由としてかかげられているのであり、本件解雇は原告の義務違反に基いてなされたものである。
(二) かりに原告に何らの義務違反がなかつたとしても原告が運送賃等を請求するには雇用契約が解除された日より九十日以内に原告がその家族とともにアメリカ合衆国に帰着するかその旨の希望を表明することが必要であるのみならず原告が費用を支出したときにそれを被告の極東方面の事業勘定の債務に計上されるにすぎないところ、原告は右期間を経過した後に、その家族とともに自分もアメリカ合衆国に帰着する旨の意思を表明したにすぎないし、その費用を現実に支出したことはない。
(三) かりに、原告の主張が理由があるとしても、原告は被告の極東方面の事業による純益の三分の一をコミツシヨンとして被告より受けとる約旨であつたところ、原告は被告より一カ月につき約七百五十ドルのコミツシヨンの前払を受けていたのでその結果昭和三十一年三月十五日現在原告としては被告に対し少くとも五千ドル(邦貨約百八十万円)を返還する債務を負つている。よつて被告は被告の有する右金員の返還請求権をもつて対当額において相殺をする。
理由
まず日本の裁判所が本件訴について裁判権を有するかどうかについて判断する。
本来国の裁判権はその主権の一作用としてなされるものであるから、裁判権の及ぶ範囲は原則として主権の及ぶ範囲と同一であり、この意味においては原則として、その訴訟の当事者にして自国領土内にあるものに対しては何人に対してもこれを行い得るとともに、自国民たる限り領土の外にあるものに対してもこれを及ぼし得るものである。この原則からするならば被告が外国にある外国人である場合にはその者が自ら進んで服する場合の外は当然には自国の裁判権は及ばないものというべく、このことは一般に「原告は被告の管轄裁判所に訴を提起することを要する」という原則が国際的管轄の領域においても妥当することと相照応する。しかしこの人的な関係のほかに現代諸国の多くは例えば自国の領土の一部たる土地に関する事件その他とくにその国となんらか関連ある事件については当事者所在のいかんを問わずこれに裁判権を及ぼし得るものとしていることは一般に知られたところである。当事者の合意にもとずく管轄権の如きもまたその一態様たるを失わない。そしてそのいかなる訴訟がその国と関連あるものとして、その国が裁判権を有するものとすべきかは、もつぱらその国自ら決するところであり、現に諸国の制度も必ずしも一致するところがないが、これをひろく認めるときは一面において他国の主権の作用たる裁判権と牴触するおそれがあり、他面当事者とくに被告の所在に関連していちじるしく不公平な結果を招くことともなりやすいのであつて、これらの面からおのずから一定の限界を設けるへきことは明らかである。
わが国においては、かかる意味でわが裁判権の及ぶ事件が何であるかは、法律に直接の規定がなく、よるべき条約も存せず、また一般に承認された明確な国際法上の原則も確立しているとはいえないのが現状であるが、民事訴訟法はその管轄とくに土地管轄の規定において一定の事項か一定の土地に関連あるものとしてその地の裁判所の管轄に属せしめているところから間接にこれらの事項がわが国に関連あるものと推認することは相当である。しかしこの場合にも、もともと民事訴訟法は被告の普通裁判籍所在地の裁判所をもつて土地管轄の原則とし、その外に一定の事物についてはこの普通裁判籍たる管轄と競合して当事者の公平と審判の便宜の見地から特別の土地管轄を認めているのであつて、そのいずれの管轄によるにせよしよせんはわが国の裁判所のいずれかが管轄権をもつのであつて、当事者の利害の対立は比較的軽徴であるのみでなく、もしある管轄裁判所での事件の処理がいちじるしい損害又は遅滞を生ずるべきときは裁判所は他の管轄権ある裁判所へこれを移送することによつてその弊害を避ける余地がある(民事訴訟法第三十一条)のに比し、国際的管轄の問題はいずれの国の裁判所が管轄権を有するかにより当事者はそこへの出頭の難易、言語法律の相違等において利害の関するところはきわめて大となり、かつそれをさける為の移送の制度の存しないことを考えると、国内法たる民事訴訟法の管轄の規定をすべてそのままわが裁判権の所在を決定するための標準とするのは相当でなく、その間前述の考慮にもとずく一定の限界が考えられなければならないのである。
本件は日本に現在するアメリカ合衆国人たる原告がアメリカ合衆国カリフオルニヤ州法によつて設立せられ同州に本店を有し、日本にはなんら支店も営業所も有しない法人たる被告に対し、契約にもとずく債務の履行を求める訴である。
まず原告は日本に住しわが主権に服するものであるのみでなく自ら訴を提起し、わが裁判権に承服するものであるから、これにわが裁判権の及ぶことは明らかであるが、被告は外国にある外国法人であるからこの点だけからいえば、本件において被告に対しわが裁判権の及ばないとするのが原則的に正しいというべきである。しかし訴訟の事物に対する関係において被告の所在いかんに拘らず、わが裁判権を及ぼし得る場合の存することは前述のとおりであるからさらにこの点について検討しなければならない。
民事訴訟法上土地の管轄に関する規定中本件訴の裁判権の有無を判断するについて一応の根拠とすべき法条は同法第八条であるということができる。同条は、日本にいわゆる生活の本拠を有しない者に対する権利の保護を確実ならしめ権利の実行を容易にするために特別の裁判籍を認めたものであつて、その人的関係において日本との関係が稀薄である者に対しても訴を提起することができる規定であること原告主張のとおりである。そして同条が右の目的に出だ規定であることからすれば、被告たるべき者に関する限りその国籍ないし所在は問うところでなく、したがつて外国の法人等についても日本における事務所又は営業所のない場合でも同条の趣旨によつてわが裁判権が認められると解し得るもののようである。もつとも本件においては請求もしくは担保の目的の所在地は問題でなく、同条中の「差押フルコトヲ得ベキ被告ノ財産ノ所在地」としてであることは原告の主張自体明らかである。
然し乍ら、民事訴訟法第八条を右のように解し、被告がわが国内にいやしくも差し押えるべき財産を有する限り、その種類、数量、価額のいかんを問わずわが裁判権が及ぶものとするときは、わが国に現在し、少くともわが裁判所を択んだ原告の利便にはかない、かつ実効性を収めるものとは言い得ても、日本に現在しない被告にとつては著しい不利益を免れないこととなる。被告の財産がわが国土の一部である土地で、これを直接の目的とする財産権上の請求の如きものならば、その財産とわが国との関連が緊密であるが、その財産が動産の場合はその土地との結びつきはきわめてうすいこととなる。しかも本件財産は原告の主張する如き若干の商品見本その他であり、原告が日本のみならず極東各地にセールスマンとして行動していたことからすれば、それらの財産が本邦内に存在したのはたまたまそうであつたという偶然の結果に近いといわなければならない。この程度の関連性はまだわが裁判権が外国にある外国人(ないし外国法人)に及ばないとする原則に対する例外とするには十分でなく、被告はその所在において訴えられるとの基本的利益を侵すに足るだけの理由を構成しないと解するのが、もつとも公平にかなうものというべきである。
被告の財産が自国内に存するとの一事により、もしくはそれを差し押えることにより、自国の裁判権を認める法制ないし実践をもつ事例もあるが、これと反対に単に財産の存在するだけでは自国に管轄権なしとする事例も多いこと被告指摘のとおりであつて、前記解釈が諸国の一般的傾向にそむくものとは断じ得ない。原告は、かくては日本人が日本に生活の本拠を有していた外国人、外国法人に対して有する居住当時の債権につきその外国人もしくは外国法人の遺留した物件によりその満足を得るについて日本の裁判所に訴を提起しおよび執行をすることが不可能となり、かえつて甚だ公平の理念に反すると主張するが、その設例のような場合はまだ別個の観点から(例えば義務履行地、契約地、不法行為地等)わが裁判権を肯定する余地があり、そのような場合には民事訴訟法第八条もまたそのまゝ働くこととなるであろうから、これによつて前記解釈を非難するのは当らない。
次に原告は本件契約の履行地が日本であること、また契約は原告が日本において締結し、かつ日本国の実体法によるべき旨の諒解があつたことを本件が日本の裁判権に属すべき事由として主張する。原告の右主張中契約の履行地というのは究極において原告が本訴において契約に定めた約旨により被告に求めている給付の履行地をいうにあると解されるから、この点は後述のいわゆる義務履行地の問題に帰し、その余の点はいわゆる契約地の裁判所としての裁判権をいうものと解せられる。わが民事訴訟法は契約地もしくは契約成立地の裁判籍なるものを規定していない。従つて訴訟法の規定から間接にわが裁判権の所在を推論するという前記方法を用いる余地はないが、一定の契約に関し、もしくはそれから生ずる紛争はその契約の成立した土地ないし契約の準拠法の行われる土地との関連があるというべきであるから、このような観点から裁判権を基礎付けることは不当ではないであろう。しかし本件契約が日本において成立したことを認めるべき的確な証拠はなく、かえつて本件口頭弁論の全趣旨によれば本件契約は一九五四年(昭和二九年)アメリカ合衆国カリフオルニヤ州サン・デイエゴ・カウンテイ・サンデイエゴ市において締結されたものであることをうかがうに十分であり、右意思表示当時原告が日本に在住したとの一事により右認定をくつかえすことはできない。また右契約の準拠法が日本の実体法であるとする当事者の合意を認めるべきなんらの証拠はなく、その行為地はむしろアメリカ合衆国カリフオルニア州であること前記のとおりであるから同州の法律によるべき場合といい得るのであつて(法例第七条参照)、結局本件においてはその契約の成立もしくは準拠法の地が日本であるとしてわが裁判権を肯認することはできない。
さらに原告は本件はその義務履行地が日本にある場合であるから、民事訴訟法第五条を準用し、日本の裁判権を認めるべきものであると主張する。しかし本件契約にもとずき原告の請求する本件運賃等の支払義務の履行地が日本にあるべきことを認めるべきとくだんの資料はない。その義務の内容が、現に日本にある原告をしてアメリカ西海岸まで到達せしめるための旅費等の支給であるからといつて、直ちにその履行地が日本にあるとするのは、今日国際通信交通の発達、金融機関を介在せしめる金銭決済方法の便宜等を考えれば、早計に過ぎるものというべきであり、当事者が日本において履行すべき旨を合意したことはこれを認めるべきものがない。わが民法は弁済の場所につき別段の意思表示のないときは特定物の引渡以外の債権については債権者の現時の住所としているけれども(民法第四八四条)、本件契約が日本国の法律によるべきものとし得ないことは前記のとおりである。従つて契約地法たるアメリカ合衆国カリフオルニア州の法律において、とくに債権者の現時の住所が履行地である旨定められていればかくべつ、そのことを認め得ない本件においては、結局本件の義務履行地が日本にあるものとすることはできないものといわなければならない。
又、原告は、被告訴訟代理人は日本の裁判所に出頭して本案に対する答弁をしている旨主張する。本来ならばその裁判権に服しない当事者が自らその裁判所に出頭して応訴するときは、その裁判権の承服したものとしてわが裁判権を認めて差しつかえないであろう(民訴第二六条参照)。然し日本の裁判所に出頭して本案に対する答弁をしても被告においてこれにさきだち裁判権の存否に関しこれを争う旨の意思を表明しているときは、当然に日本の裁判所が裁判権を取得するに至るものとはいえない。被告は本件においてわが裁判権を争うことは前記のとおりであり、ただこれとあわせて本案の答弁をしているものであつて、その間とくに裁判権不存在の主張が理由がないときは本案の答弁をするものである旨の明確な留保はしていないけれども、その意の存するところは正にそれであると認められるから、この点から、わが裁判権を肯定することもできない。又、原告主張のように被告が証拠保全の申請をし被告代表者に対し証拠調が行われていることは本件記録により明らかではあるが、本来証拠保全の手続はもつぱら予め証拠調をしておかなければその証拠を使用するについて困難な事情がある場合になされるのであり、かつそれにとどまり(証拠保全手続は本来の判決手続とは別個の手続として行われる)、訴訟においていかなる主張を維持するかということとは直接関係がない。もつともその証拠保全によつて明らかにしようとするところがもつぱら実体上の争点に限られるものであれば、本案に対する抗争の態度を表明したものと認めて、わが裁判権の黙示の承認を含むと解し得る余地はあるであろう。しかしすでに本件において被告は裁判権不存在の主張を提出しているのみならず、右証拠保全においてはたんに実体関係についてのみ証拠調がなされたものでなく却つて申立書によれば、被告は裁判権の不存在の主張を立証することをもつて証拠保全の事由とし、証拠調はこの点にもふれていることが認められるから、本件において証拠保全手続がなされたことは本件訴につき日本の裁判所が裁判権を有すると解すべき根拠とすることはできない。右証拠保全手続において被告代表者が自らわが裁判所に出頭したことをもつてわが裁判権取得の基礎とし得ないこと前同様である。
以上述べた次第であつて、その他にとくに本件がわが裁判権に属するものと解すべきとくだんの事情は認め得ないから、結局当裁判所は本件訴につき裁判権を有しないものというべく、本件訴は右の理由により不適法な訴といわざるを得ない。そしてこれが欠缺は補正し得ないから本件訴はこれを却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 近藤完爾 浅沼武 秋吉稔弘)